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Kaori’s blog

タコツボとドクターペッパーと平和賞



歴史の証人のこと。
祖母は100歳になったが、彼女の7人兄弟と周りの人たちは、戦争の終わり頃、ヒットラーのいるドイツにいたそうで、時々、ボケーッとしているころを狙って、「お茶です。」と、セクレタリーみたいに入っていくと、戦争の裏話とか聞いて、歴史の背景を聞くことがある。

まさに歴史の証人とも言えるが。

覚えている2つのことと言えば、ヒットラーに忠告の手紙をずっと送り続けて、神父様に今までの罪を告白して、回心したほうがいい、クラスメイトとして忠告するという手紙を、英語のAをくれたポール(福者)という名前の先生がいて、書き続けていたことを知るところなど、13歳なのにもう翻訳と通訳をしていた背景を持つ祖母の姿を垣間見ることがある。

後は、三つ子が岡山で生まれた時、キュバーと北朝鮮の大学と日本の3つに分けて別れさせた後別々の道を歩ませ、二度と交わることがないようにしたのを、ビザを止めた形で分断したという話も聞いたことがあって、大学の教授というのが引っかかったということもある経験はした。

話しているのを聞いていると、私は実害がないので、語り手として語る祖母の話を聞いて、覚えておく、というくらいのネタに留まっているのだが。

さて、今日の晩も、ハサミで間違って皮膚を切ったという母が、「夕食を作りたくない。うみはないこ。」とか言い出したんで、「今日、平和賞やん、私、歴史的瞬間があるかもしれないという可能性を無下にしたくないのよね。今日だけは家で取らん?ピザか、寿司。」というと、「なんか作るわ。」と思ったのが、作った味噌汁だけ。

あっ、これだけで十分。

と、言ったのだが、たまたま、大荷物で帰ってきた父が、

"It's a small present for you!"

って、コープの袋から取り出したのが、西神のジュピターで購入したドクターペッパーのチェリー味と、タコツボのお弁当。

「すごい組み合わせ。でも、食べる。」

と、胃の中に入ったらみんな同じと、食卓で食べながら話したことが、

「おいしいものを食べさせてくれたで賞っていう賞ないかな?」

という話であった。

長いこと話をして、「タコツボの弁当の中身は何だった?」と食べた後に聞かれたので、

「ごはん。」

と答えると、

「そりゃ、ないやろ。」



「きちんと答えなければ、たこと、何が入っていたって言えるでしょ。」

と言われたが、

「タコと…。」

で、ご飯を食べた。

答えもしなかった。

たまたま、大阪大学が、ノーベル賞取らない理由は、美智子様の叔父様が阪大の総長で、今年こそはと、思ったんだろう、力んだのだろうか?骨折なさったと聞いて、非常に残念と思った。のだが、すぐさまご回復なされて、「良かった、本校のほんやくコンニャクである英語バッチリの美智子様が復活なされた。」と、大山さんが亡くなられたのも残念と思いながら、母が持ち出してきたみこころ会の会報を見せてもらい、「相変わらず綺麗な方だこと、卒寿っておっしゃっておられたけど、90歳かな。」と、タコツボの弁当を前にして母が、言っていたので、ドクターペッパーもワインに見えて、高級そうでも庶民の合食と、微妙な味にもアメリカのジャンクフードと、日本のタコツボ、と、タコを取れる間もないのに、と、汗ってご飯をお腹にかけ入れて、6:45と思われた平和賞の発表を待ち焦がれていた。

こんな、落語みたいなオチないわな、と思ったが、発表を知ったずっと被爆者を応援していた母の従兄弟とか、「落涙」と、不覚にもと、書いてこられ、私も釣られて「落涙」と、ほっぺたをつねる代表者の方の会見を見て、「よく伸びるほっぺだな。」と、つくづく先程まで食べていたタコツボのお弁当を、「皮膚伸びるしな。」と、ずっとその様子をブラウン管から見ていた。

今年は、どういったわけか、なんかの民放か、国営放送で、オスカー賞の特集をやります、とか、出ていて、虫の知らせか、(なんか見たい)という衝動に駆られて、WOWOWに加入して、10月の時点で6〜10ヶ月だったか、確か、学生の頃、同じ塾に通っていた他の学校の生徒から、「絶対当たるし、WOWOW加入しておいたほうがいいんとちゃう?」と言われて、何年だ?2024-1993=31年か。自腹で入ったWOWOWで、息を呑んだのが、オッペンハイマーの映画。

しかも購入したし。購入した日にパンダが亡くなってショックも2倍だったのだが。

北岡伸一先生の英語の世界史の歴史の授業と、このオッペンハイマーの映画の英語を見ていて、「似ている。」と、思っていたら、英語の苦手な父が、トイレでゲーッと吐いていたりして。

このへんに、何かを見いだしたような気がする。

オスカー賞の映画の各受賞は、予測が当たりすぎて、お茶の子さいさいなひとときだったが、ノーベル賞になると、父が誰に教わったんだか、タコツボの弁当を買ってこないと当たらない実際の話になってしまうほどで。

せっかく今年は日本人がノーベル賞を取らないと確定した上で、来週から始めようと思っていた50歳からの手習い、登録販売者の過去問解きと、中医学の大学院の問題の暗記と、刺し子の刺繍を、サボれると、意気揚々としていたのに、取った、と聞いた時は、父も母も私も、タコツボで人が釣れたとは思いもよらず…。

軟体動物の、ひっかけ網とか、思っていただけに、「もしや、大金が釣れた?」と、一瞬だけ浅草観音寺の釈迦如来を思い浮かべたのだが、あそこは大凶が多すぎるということで、一体我が家の何が当たったとかと、予測不可能なノーベル賞財団になんだかの繋がりを見出そうとすると、毎回言われている、「何でも関連つけるな!」攻撃にあい、シュンとしてしまった。

思えば、bitflyerのイーサリムを初めて購入して、4日目であろう。アメリカのお友達が、「お前も夢を叶えるんだ!」とか、応援してくれながら、bitflyerを推してくるあたり、「かなり、推しが強い。」と、ノックダウンさせられそうなbitflyerの勧誘telegramを、受けた後だったか、彼も本気だったのかなと、世界中の皆友達、という、彼の言葉に、少し動かされたあともあったのかもしれない。勇気出して良かったと思いつつも、それが決め手とはこっちも思いもよらず。

やっぱりどんなシュチュエーションでも、一度会った人は大切にしなければならないと、少しばかり教訓を得て、喜ぶ団体の皆様の声をNHKで見ると、虎穴に入らずんば虎子を得ずということわざをしきりに思い浮かべてしまうあたり、私もちょっと貢献できる万年少女(漫画大好き人間)なのかなとも。職場でも研修に行かないかと移動を命じられていた事を今日母から生まれて初めて部長からの電話の内容で知った事を知り、「うーん、残念だ、あのまま残っていたら、仕事が今回の出来事なりとも初めて楽しいと思える事実にあっただろうにな。」と、ちょっと後悔しながら、ちょっとだけ明日からの私生活が楽しいものになっていくだろうなという予感を覚えるに至った。(*´ω`*)

今回の教訓は、「元手は安い。当たったら大きい。」である。

どこでもいっしょ。

悔いが残るといえば、携帯はauかなー?と。(笑)

こっちはdocomoとsoftbank。

証券会社は、auカブドットコム証券なんだけどネ…。

そういえば、被爆者団体が逃した何年か前、「あぁ、これ、絶対来るよ。」と思ったんだが、毎年11月になると毎度のことながら、忘れるってこともあるわけで…(笑)

今年も最初の速報が流れてきた時、事前報道用意後全くない状態での「おまっとさん、お知らせ来ました〜。」という状態だったのはこっちも気がついた状態であったわけで…。

速報後、用意がなく、速報後、民放も国営も準備に大忙しだったもよおす。
待っている間がとてもとても長く思われ、父が声かけてきた話というのが、張本が中国を破ったとかいうギネスで…。

30分待ってやっと、報道らしき事が聞こえてきた当たりでは父が高齢のためか、報道で寝てしまったくらい?

大学の時、大学院を目指していた皆が、(野球やろうぜ!)とノーマーク狙おうぜ!掛け声をかけていたが、インディーズもデビューに何年かけてからのお金が入ってきたメジャーデビューに、「これは、イーサリムではなかろうか?」と、スマホを持ちながら、フルフル震えていた。

会見の様子を回顧して思ったのだが、あの微妙なスキマが気になる。藤子不二雄のファンで、今や知る人もいるぞ知る、「笑うせぇるすまん」の「あなたの心の隙間お埋めいたします。」セリフが思い出されてたまらない。

あそこに、世代的にいえば、もう一人絶対にいるはずなんだが、その人は変わりに座敷わらしを置いていったのかな?(笑)

その人がヒットマンだったのかもしれないし、仕掛け人とも暗示させられ、今年のラッキーボーイだったのか、ゴールデンボーイだったのだろう。

誰だったのか、とても、とても、気になるところだった。

実は、今回の受賞は、心配させられる事態になるとは気が付かず、「やっぱり、科学関係は、文系の中高に役職を一緒にやろう!と勧められたから、しばしのお別れだったのかな、それはそれでとても気になって、しゃーない。」と、断ってもついてくる腐れ縁に、ちょっと医学を狙っていた私にはあんまり朗報ではなかったのだが、今年のテーマが「核」だけに、救われたと思うところも保険だったわけで、最初の受賞より1日前の周知で、赤崎先生が子どもたちのために今年の中継をブラウン管を何台か用意して待ってます状態を見て、「ここで、子どもたちの夢を裏切ったら、大変申し訳ない。」と、なんとなく50歳の母性本能で、冒険家の私は実に存在しなくなっていたのであったが、責任も超能力や、神力など、ペーぺーの私になんかあるわけがなく、やけ酒しようにも酒を変える金が無し。あるといえば、受験組で、ベビーブーム第三世代なのに、なんで入れたのか後ほどブーイングとか、あったのかもしれない、と、怯えながら、続き様に、真鍋先生が、もしかすると、バックアップが必要なのかもしれないと、東京大学に外国からわざわざおかえりになられた事も知って、子供達のことを心配する自分もいたり、老年科の自分も同時にいたりして、いるのにもかかわらず、神頼みもせず、カーテンを1日中暗くし、ポアロの最終小説カーテンのコールを思い浮かべながら、「そうです、私が全部やりました。」とわけのわからないことで一週間床に敷布団を折りたたんで万年蒲団を1週間続けていたのは、嫁に行ってこれをやったら、怪しまれるとわかっていながらも、「家事手伝いをしないって、どゆこと?頭が腐って退化するよ、働きなさい!」というお説教も何処へやら。

コープの資金5万円払ったの?と、逆に問いかけると、「あぁ、払いましたよ。」で会話が終わると、今度はまた、怠惰なことを攻められ、昨日父が歯を治したと言って、絶好調で帰ってきたと言うと、父が食卓で「ちょっとやりあっちゃった。」とか言って、「仕事を退職したうえでのことを仮定して考えて生活しているんで、今やれということは今週だけ絶対に言わないでください。」とお願いしたのは記憶に新しい。

石破さんがラオスに行ったのも、「当たらなかったらどうしよう。」と思うフシもあったのだが、彼が戦後三人目のキリスト教徒で初めてのプロテスタントで、浄土宗に神道も信じている宗教のプロだ、と父にいうと、俺等も日蓮宗と、反発されて、今日の夜空で月が半月ということも忘れる始末であったほどの熱血報道であったのは自画自賛満足中。(何もしていませんが、ほんと、すんません)一言ありがとうございましたであろう。by寒いのが嫌いな大阪人

ほんま絶叫は3秒のみであった。

とても早かったね、で、終わった。

絶叫は我に返ると、本音を口から出しており、意図的にでも、「これで、皇族の嫁入り道具を用意できる、私らが払う必要はない!」と、クレジットカードらしきものも口に出してしまったようであり、(結局は圧迫感)次期学長の名前を出して、「何をやったんだ!」と思うやいなや、テレビを見て、「お前が取ってるやないかーい。」で終わったような気がし、父が娘の心の中を読めたとばかりにニヤニヤしだしたのをみて、見られたかと、ショックを受けたが、結局は馬鹿なことでも当たるからやれ、と、言われたことは、当たるんだなと、メインはそっちの方に動き出し、四国出身の京大の工学部の四回生の家庭教師のお姉さんが、先生の言う事は絶対だから、バカにしちゃダメ、と今のところ、二人の言うことを、信じるだけでも今のところ私だけは、良かったかなと思うに至った。(まだ本調子ではないけど(笑))

入院歴が長いので、六曜を見た。

大安であった。

この辺は当たるので、家柄の実力であろう。

当たるも八卦当たらぬも八卦の領域ではない。

同僚が、「両さんか?!」と評価をくれたが、まだ分析してなくって…。

彼のこと(*´ω`*)
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