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Kaori’s blog

時々思うこと

天の声って本当にあるなぁ、と思うこの頃だが、科学など外国でやってました、とか、集団で自己紹介する時に、じゃあ、テレパシーとか、祈りとか、あんま通用しないでしょ?とかたまに言われることがあり、サイエンスと言う言葉自体、なんか、あまり言わない方がいいかな、と、感じることもあったり、勉強のしすぎで、世の中に双子や三子がいるので、同じ人にどこかで会ったなぁ、とかいう、デジャブーとか、さっきまで箱の中にいたんだけれどもなぁ?とかいう、猫の話(移動しただけ)で、認知ということに非常に興味を持ったことがあった。対象物に、興味や愛情がなければ、単なる別のものが何かしているという、完全無視の世界に至ると、対象物に関して、不思議に思ったり、何故かな?と思ったりすることはないが、パソコン通信とかしていると、実際に会ったことがないのに、あの二人、なんか、以心伝心…とか、それなりに不思議に思ったりすることもあって。

友情とか、愛情とかではなく、信頼性に関しての問い合わせなのだが。(お金が絡むと怖い、と言うこともあるが)

一週間前から悩まされていることがあり、多分組閣が変わったとか、ノーベル賞ウィークに突入したとか、社会的変化が周りで起こっているとか、今年はオリンピックの年だからとか、いろんなことが要因として考えられるのだが。

前の晩から、万引きと言う言葉が頭の中に響いてきてなんか嫌な気がした。

ことの発端は、駅の100円ショップが無人になって、(これは、ちょっと怖いな)と心理的に身震いしたのと、電子マネーの交通系がなくなり、クレジットカードや、携帯アプリに変わったこと、近所のパン屋のおばちゃんが、レジ打ちで値段を入力し誤り、損したのか、得したのか、ちょっとの瞬間わからなかったのだが、お詫びに50円券貰ったので、(まぁ、いいや)と、教育者に戻ってしまったり、親に食費を入れてないのに、「ご飯食べるの本当にやめて、地震が来たら、食物がなくなったら、本当にサバイブに困るから。」と、朝から晩まで南海トラフ地震の影響に左右されていて、完全に周りを脅かしている母とか。

教育者になる前に、良い先生に当たると、(みんな、あなたのことを見てますから)というのを前提に、教育を受けるのだが、中でも特に印象に残っているのが、介護の試験の時に、絶対に赤信号で渡らないように、という簡単な教えだったと思う。(神戸市三宮)

反社会的になる高齢者を見る介護士は、介護士自身が、周りに携わる多くの家族の信頼を得て、高齢者の安全と確保を貰う権利を言い渡されるわけなのだが、本人が反社会的だと、完全に信用を失うので、その辺のところは注意と完璧に経験済みの介護士が教えてくださった。

祖母は、大学に入る前、男女関係で何もなかったでしょうね、と言うのを前提に、許しを得ての入学だったのだが、あそこでなにかある、と思われたら、入れなかったと思い、結構身辺のアスペクトなど、かたく見られるのだなと、自覚。

自分の介護を見てくれる孫を育てる前に、完璧に潔癖症の孫を作りたかったという思いがとってみられ、逮捕されたり、今までしたことがなく、その辺は人生選びに失敗はしなかったと思う。

強いて言えば、人災?

それだけ嫌だった。

さて、京都に住んでいた時、京都駅のすぐ下の近鉄の連絡網から、ある連絡が届いた。

キセルが多いとか。

交通系電子マネーの登場のきっかけであった。

あれを作ってから、本当に魔の手のように、キセルするやつがいなくなって、と、親戚の新幹線を作った男たちに登場する何もかも人生を預けたおじさんたちから、嫌味ともなく、すごいね、と、感謝されたのだが、現場というのが、猛スピードで改札口を貫いていくおぼっちゃまがたを、両手で肩を掴み、プールダウンして捕まえたのを見られたのか。
あれだけは普通の人もできないと、言われた。

さて、万引きと言う言葉が頭の中をよぎるのだが、私なりに、ジンクスがあり、人生で万引きをすると、鉄道博物館のグッズが、買えないという事実に突き当たる。

キセル乗車を、とめるから。

グッズに万引きしようと言う気は起きず、そもそもグッズの制作デザインや企画や細かい作りの等では、たまに友達を通して間接的に案を練り込んでおり、「あっ、まだやっている。」という企画があるだけで、私はまだ人生で本当の万引きをやったことがないという事実に突き当たる。

したことあるのかな、と、不審に思い(酒を飲んでいるということもあるので)一回台湾へ行き、御神籤を引いて占ったが、万引きに関する願い事などどこにも書いておらず、「ほら、書いてないでしょ。」と言うことで、多分、濡れ衣を被せられているんではないかという感覚が思い当たる。

たまたまなのだが、女医になった友達から、医師よりよく知っているので、なんでそんなによく知っているのか?と、尋ねられたりすることがあるのだが、リウマチの母の治療のお金を稼ぐため、本当に老年科の父の教室で、介護に関する教科書を作る製作委員会を最初父と立ち上げ、(カトリック教会で、現金を盗む高齢者に出会ったことがきっかけ)附属病院の大学院の部屋と自宅で、食卓に上がる話題として、いつも高齢者の話ばかりしているので、自然と詳しい研究をしている叔父たちから、脳のどの部分が影響しているのかというグラフから、犯罪を犯す経歴がありやすい家柄は、周りの環境の悪さもあり、そのせいで脳みそがいかれたので、本人のせいではない(心はハート)とか理由に、出来上がった教科書を当時の大学院生にやらせると、結構好評だったので、一般に落とすか、と、今ではいろんな人がこれを見て学んでくれるので、嬉しいと言う当時の大学院生も、徐々に出世していった。

お前はいいよね、俺が養っているし、と、よく言われるのだが、最近自分で自分自身の能力を上げるという開発的な考えが主流になったのか、是非資格を取ってくださいと周りから勧められて、思わぬところで教科書に再会して、「テストほどほどによろしくお願いします。」と格安で取ったテキストの内容が素晴らしく宜しい。


私は素晴らしくこの章が好きである。

ピック病の件なのだが。

読めばわかるので割愛。

なんでも飽き性なので、せっかく買った高い専門書を読もうと決めても、勉強に関する常同行動は程々なく、その辺は私には見当たらないと、安心し切っているのだが、型にハマるように、なんでもこの通りと、いってつくすと、場外に対応できなくなるので、それはそれで困る。臨機応変に。

万引き、何かしらあるなら、病気。

ピック病かもしれない。
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