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Kaori’s blog

朝から


犬のルビーが、背中から顔にかけて、肌にできものができており、心配だったんだが、親が、両方とも、母親の方の眼科に付き合って車を出して出ていったので、獣医に連れて行けず、獣医師さんに、「犬用の軟膏をつけてあげてください。」と言われていたので、黙ってつけていた。前足でかくこともなく、今おとなしげ。(ヨークシャテリア)

チェリーちゃん、ロビーちゃん、ボビーちゃん、ケティーちゃん、ルビーちゃんと、数えて5代目。チェリーちゃん、ロビーちゃんは、母が昭和49年に我が家に嫁いてきてからの飼い犬であったので。(ロビンソン、チェリーなどを思い出す)ボビーちゃんはゆくゆくはチェリーちゃんのお婿さんになるところで迎え入れたのだが、チェリーちゃんの方が、寒さのために、祖父の布団の中にもぐり込むクセがあり、3歳のとき、布団の上から見えないために、彼女の上から足を踏み付けてしまい、生後3ヶ月で死んでしまった。最初の殺生であったが、彼女は自殺したと言い訳を貫いたところ、祖父は、知ってるくせに、「そうか。」としか言わず、(まず、犬は生後3ヶ月で自殺しない)庭に埋めてやり、と言われ、嘘をついた後悔と、チェリーちゃんの遺髪が阿倍野区のお寺に埋葬されたのに、危機感を感じ、それ以後、庭で泣くことといえば、チェリーちゃんの事を思っての泣き言。祖父母は何事?と毎回言っていたが、あまりにも泣き声が続くので、お隣の筒抜けのお姉さんが、一度庭に見に来てくれて、その後、弟さんのご厚意で、ボビーちゃんが、チェリーちゃんの後を追うように、餌をもらった後、母の手のひらの上で亡くなった後、可愛がる対象もなくってさみしいでしょう、繁殖には成功しなかったけれども、またうちで子供が生まれたから、好きなのを持っていきなさいと、雌の犬を祖父が持って帰った時には、「雄はいないの?」と。無心出来ず、何か理由をつけてまた、もらえるかもしれない、と、犬をくれた家に行きたいといえば、祖父は絶対に行くなと厳しくしつけられたので、今でもケティちゃんがどこの家からの出か分からず、馬の骨かもしれないと、豪州帰りの祖母が一言言えば、犬に馬の骨をやってもしょうがないでしょう、そうね、とのことで、餌だけは立派なものを与えて、時折鳥の肝も、祖母が与えていたようだから、27歳くらいまで長生きしていたような気がする。犬のきもちという雑誌が出た時には、心が震えた。なんとなく気持ちが分かったから。最後のケティの遺体は夙川に持っていかれて、そこで永眠している。雌は脂肪がなくっても長生きだと、思ったのは、一度だけ繁殖のために、裏庭の家のヨーキーの、雄にあてがった時に、できた子どもたちは、里親に出されたが、ケティちゃんは、伴侶がいなくっても、ずっと一人で生活し続けており、必ずしも蜜月は経験しなくってもいいもの、と、犬のデーターを老年科の父に毎度見せていたら、「そうかな。」と。ボビーちゃんは7歳で死んだが、ケティちゃんは、その後27年間も生きたので、女の人は伴侶を亡くしても20年間は生きるとかで、論文にもなった。

ケティーは、ケイティ・ペリー、ルビーは、ルビーパーティ(アンジェリーク)にそれぞれ名前を使ったので、我ながら名前つけにはセンスが昔からあるなぁと。

犬の名前といっても誰も気づかず、犬を見て、ゲーム会社などに、頭が直結しない。「かわいい〜!」と、それだけ。(昔は松陰の子達に可愛がられていた。今は10歳(70歳)のおじさん)



さて、この間、お友達二人にお会いし、ご挨拶をしたのだが、それぞれ贈り物交換をしていたので、受け取った時には嬉しいもの。

おひとかたは和菓子、おひとかたは誕生日プレゼントであった。

もらえると嬉しい贈り物。

未生流笹岡のお花のお稽古を100万円ほどお稽古を阿倍野区で残しているので、今お金を貯めているんだが、この間、やっと30000円の配当金が入ってきた。

イーロン・マスクをフォローしているのだが、テスラ株が、急激に伸びたので、しばらく500円積みたてをpaypay証券でしたいと願っている。

一週間前、母と口論した。

仕事ないのに寄付をしたら、祖父が言っていた遺言とことなるやないかーい、と。

しらんでー。とも。

一応、先月の出費を確定申告前に調べたのだが、私費で使ったお金は10000円くらい。あとは、諸経費だけ。

なので、安心(*´ω`*)かなと、安堵していた。

LINEで、母の従兄弟から、従兄弟のお父様、(私の遠縁(血は繋がらないが、和歌山あたりが先祖の出身地だそう)で、西川義方という侍医の二代目の当時の次世代の同じく侍医だった、一郎先生が、東京大学硬式野球部の運動場の崖に植えたという桜の木(樹齢60〜67年)に、カラスウリが絡まっているということで、こんな写真が送られてきた。

いや、ほんと、まじすごおす。

私は京都生まれなので、こんな舞妓さん(失礼、芸者)が使う言葉しかお笑いで使えないが。

異常。

怖い。

あれだ、化け物。

はざま先生(阪大↓)の、娘さんが、叔母なのだが、叔母に全部話すと、「すごいねー。」の一言が。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jibiinkoka1947/82/10/82_10_1174/_article/-char/ja/

しばらく100歳の祖母を介護してくださっていたので、この間いらした。

結局は何があったのかと言うと、その母の従兄弟が、あまりにも父が、植えた桜の木がお粗末で、はざま先生の娘さんの叔母様によると、桜の木は、寿命が50年くらいなのだが、カラスウリが絡まっているとなると、まだ埋もれた桜の木が、生きているとかいうことで、桜の木は、接ぎ木してもっと長生きさせることができるんだよ、という、私の知らない知識を教えてくださったものだから、驚いたのなんの。

瓢箪山稲荷神社に行こうかと思った。(神頼み、願掛け)

京都の鴨川の縁の桜の木は本当にあそこまで育てるのに始終時間がかかり、今でも長生きしているとなると上等な手段を使っているものだと思われる。

京都では、桜の木の枝を折ると犯罪なのだ。

景観が薄れるからだ。

京都大学の医学生の女医さんはその啓蒙に必死で、私も今でも守っている。

誕生日プレゼントを送ってくれた友達は、お祖父様をお育てになられた義父が、神田知二郎先生とおっしゃる方で、さっき、こんな書類を見つけたのだが、当時の話をすると、こんなことであった。

なんでも、本家から、神田先生の像が、ヤブに絡まってたいそう可哀想だとかで。

京都大学の折部先生の銅像も大変なのだが。

たまたま、神緑会の叔父が、今でも開業しているよ、と言ったら、高校時代の和菓子を持ってきてくださったお友達と、何かしらの御縁で、銅像が蘇り、神緑会のラグビー部員が、先頭だって働いてくださっていたとかで。

お友達とラグビー部に感謝した。

(今、神戸大に、スタバが出来たようだが)

東京の方では、銅像ではないが、桜の木が、埋まっているという景観的におんなじ状態の話になり、やはり、お花の先生と同様、なんとかできないかなと、相談を持ちかけてきた。



すごい方だが、神田先生の銅像の枯れ木を取り除いてくださった事を手記にして、PDFにしてくださっていたのを偶然ネットで見かける。

こっちも。


あとで、じっくり読もうと思っている。
(女の知恵は後に回るというが、それはさておき。)

閑話休題

話がそれた。


カラスウリといえば、薬剤師の叔母が、植物図鑑と、薬理学大全の本を持ち出してきて、(結構研究家)何か薬に使われるとか言っていたが。


結局一人では力及ばず。

江戸の大火ではないが、人の手を借りることにした。

ほら、大阪は天下の台所って言うしー。

で、高校の時、図書館で、カラスウリの花を調べていたのだが、たまたま、ホームカミングデーで、いらしていた先生方の一人に、カラスウリに詳しい方がいらして、百科事典で、手にかけるも、一発でページを開ける先生がいらしておられて。
確か、ベトナムからのお帰りだったのかな?

この間、私も言ったのだが、西国三十三所の六波羅蜜寺にお参りに行ったとき以来、ほぼ同じ能力が身について。(なんか気分いいと言うか)

この先生。
薬理学の先生。
教授で学長。
カラスウリの花は目にいいのかな?
身は耳と鼻に効くとかで。
薬効は漢方。
甜茶も習った。
メガネの縁が牛乳瓶なので、よく覚えている。
祖父の話によると、祖父は誰かの軍隊の一員の下で働いていたとかいう話で、私もよく間違えるのだが、いろんな先生がいらっしゃって、どの先生かわからないのであるが。(↓)


どなただったか覚えてないのですが、最初、大学の図書館に行った時に、呼び止められ、一番勉強している人は誰か?と、司書の人に問い合わせてご覧なさい、よく観察しているでしょ?と、小声で言われ、あの人、と、刺された方に話しかけたら、末に「なんで、そんなに勉強しているんですか?学長になりたいの?」(←怖いもの知らずの失礼なやつ(笑い))というと、「学長になりたいから。」と言っていた人がいて、触らぬ神に祟りなしと、東京に帰り、従姉妹に、「学長になりたいんだって、学長になりたいらしい。」と、繰り返したら、「もこちゃん(従姉妹)の学校にもそんな人いるよ。」と、反発心なくせせわらいされて、結局、今2024年、辞令がおりて、新聞を振り返ってみると、当時のよく図書館で勉強していた講師や、よく廊下ですれ違った人が、一人一人と学長になったから、ちょっと運命に驚きの念を感じざるを得ず。

偶然をなんとかという言葉で物理で表現するという感覚の持ち主もいらっしゃいますが、お花のお稽古では、袖ふりあう仲も他生の縁とかで、今は母と、シロガネーゼ、カネガネーゼ、と、ない袖は振れないと、いう日々を送っているはずなのに。

カラスウリが欲しくって、出しちゃった。



桜の木が可愛そうです。とか、書いたような気がする。



うまい!言いえて妙。さすが東京大学。日本語の先生。

それに、祖母に、なんで国公立行きたいんか?という問いに、医師が今無理なら(阪神大震災の直撃の後の入試だった)高校野球児の、女性初の監督になりたいと言った覚えがある。

救急箱がいるので、医学は必須と祖父ら、大おじたちに、言われた覚えが。

敵を作らないとかで。

マウンティングしない、この頃の人たち。

けっこうビジュアル。美酒あるではない。


介護施設で、休学中、上智大学卒の外国人のシスターに、ボランティアをしたら、ケンブリッジやオックスフォードいけるよ、と、勧められて、重度障害者施設で、1年ほどまだ、介護福祉士の資格が設立される前に、ボランティアとして従事していたのだが、つかの間の楽しみというのが、なかなか、来られない親御さんたちをいかにして小さなイベントでお子様たちとお楽しみのお時間を感じさせてあげられるか、に、時間を割き、ホームカミングデーとかで、当時のダラスの人気歌手であったマライヤ・キャリーのプロモーションビデオを貸しまくって、こんなんやってる、と、友達にいうと、外国帰りのアメリカナイズされた人たちが、少子化もあってか、ワードに異変に反応し、(私は東京大学の学生ではないが、受けには行ったので、今生受けれないと思ってか)就職には本当に困ったことはないと、思っていると、こういうチラシも同封されていた。

母の従兄弟に勧めてみようと思う。

しかも、いま、この、株価上昇の時に、実りの秋といって、コロナで失われた何年かには、人の体の中では胆石が溜まり、銀杏も重くなって、枝ごと落ちてくるとなると、生物学の林業のテストで成長曲線と、今後の時代について、を数理で習ったうえでは、NHKの周知文が、なければ、アメリカの大統領も気がつくまい。

たまたま、最後の国へのご奉仕のお仕事が銀行員だったので、お金は23万円くらい余った。積み立てで1000円ずつ投資信託にしているが、配当金が49円に跳ね上がったので、母には、「お金の出しすぎ。」と怒られるものの、いしいひさいちの漫画の藤原先生の教え子のののちゃんのように、「まぁ、いいか。」と思うだけで、日常は終わっている。


東日本大震災で、京都松ヶ崎に避難してきた東京の港区の白金台の従姉妹達。

このときも、揺れを感じながら、学長の話で盛り上がっていた。

なぜ学長を捕まえるかというと、文房具の会社を経営していたので、今後も使ってくださいということで、レベルは不問とのこと。(歴代和尚さんより)

以前は、皇室に1999年まで子供が生まれなかった理由として、話題が、綱吉のお犬様のことばかりで、何をしていても、人間より犬のほうが上、お公方様に子供ができるまで、と、獣医になるのにふさわしい家庭環境であったのだが、2000年にもなると、皇室に子供ができてからは、犬公方の話は徐々に薄れ、でも、飼っていたほうが、高齢化社会の、健全なバッファーになるとかで、弔問客が、よく、盲導犬の資料を提供してくれにきていたとか。

犬公方の話から、学長の話にシフトしていったのは、時代の流れだが、この写真を見るたびに、「そう言えば、学長の話を良くしていたなぁ。」と、感慨深く思い出すこともある。

マグカップはホットミルクである。なんか、地震前に退学していて、ホッとしていた。この後、コロナ予言に怯えていた。(2011年頃)清華大学に入学したの2022年の今から思えば、ずっと後。



おかげ参りとか、高野山詣で、には、精進潔斎が必要と、比叡山で習っていたが、ポーランドから帰ってきて、しばらく共産党圏に行っていたため、自宅で待機しようと日ペンの美子ちゃんを始めたのだが、当時から細筆が上手く紙の上を滑らず、そこに字を書こうと思わないのに、勝手に線を滑らせ、なかなか、3級以上は取れなかった。

最後の課題で、3つあるうちの2番目を選択し、家が、揺れに揺れて、左斜に弧を描くように崩し文字になり、早く出さなければと、82円切手を貼って、出しに行ったところ、それと文字が直結しているわけではないが、祖父の何があっても、家訓を書くときはまっすぐにという教えに逆らってしまったのか、意図的でないにしろ、皇族は順調に生まれることもなく、帝王切開だったというニュースを聞いてから、いたたまれない。

それからペン習字はやってないんだが、まぁ、字は、綺麗かなと思うこともあり。

お札に女性の肖像画が入ったりしてまんざらでもなかったのだが、2級に上がれなくって、なんか、自分の直筆に脳力が、ないと不審思っていた気もする。

気がつけば、石川県の一宮の氣多神社に行く前に大厄の前厄に突入したのだが、気にはしなかったものの、誰もが経験する恐ろしい出来事に遭遇してしまい、友達のお祖母様の戦時中経験なさった事とおんなじ経験をした。

何も起こらなかったのだが、別に大厄の時に何か起こしたか?と、思ったことには、何もしなかったと答えるしか出来ず、骨折も、大病も、家の破壊も、車の破壊も、両親の死亡も、なく、何があったのかな?と、他の家の娘さん達にも聞きたいが、特に答えてくれることもなかったと思う。

少子化がすごいなと思っただけ。

後は、ペンの揺れかな。

渡る世間は鬼ばかりというドラマがあったのだが、ペンを取った筆者の先生は、小学校の時のアメリカから帰ってきた時に、担任を引き受けてくださった先生だったのかな?

高校の時、えなりかずきの役が可愛いということで、上甲東園では盛り上がっていたのだが、大学に入ってからは、同人誌会の子たちから、ネットを通してクレームが来て、それも、何で甲楽(中華料理屋の息子)の長男が東大へ行ったのか激しく疑問を感じる、モデルは居るのかと、散々聞かれた覚えが。

2024年に上智の学長が女性であったことに起因するが、ちょっとよく覚えてない。

なんだったかな(*´ω`*)

今の悠仁様の問題なんぞ、問題外のようにクレームが来たのを覚えている。

架空の話なのだが。

一乗寺では、602号室の田中さんのお隣の坊っちゃんのところに、家庭教師として、二人男の人が来て、ファミリーコンピューターをしていたのだが、703号室や、706号室のお兄さんも持っているとかで、激しく親に購入してくれとせびったこともあり、ドラクエが流行る前に先にできた登場人物が、メタルスライムで、当時のお兄さんたちが貴重なアルミホイル(郵便局でしかもらえない)をくしゃくしゃに丸めていたことから、「おぼっちゃまや」と、二人のあだ名がメタルスライムだったような覚えがあり、滅多に家から出るところを近所のおばさんが見たことがなく、レアで出会ったら大変貴重とか…。リウマチの母が、ミネラルでアルミが、必要と覚えたのも、隣の田中くんところの家庭教師のおじさんが、アルミを持って帰ったとか、脳裏に覚えがなく、ドラクエも、渡る世間は鬼ばかりも、漫画のネタもほぼ近所からだったのは記憶に残っている。

今の60代の学長さん達は、ファミコンが流行っていた時には、23歳くらいであり、学費も無償化が進んで、いいところは悪くないって、そんな感じ。

昔は原子核物理学といえば、原爆に、直通するものがあるが、最近では、電気の発生段階で、原子力発電所に賛成すると、単位があやいうところをウロウロしてしまい、風力発電などの代替でないと、良い点はもらえない。



小学校で、円周率は、3の倍数でない、というところから算数を習うが、3は3で割り切れるにしろ、0.1は、3で割り切れず、0.04も、3で割り切れない。

野球やっている時に、頭を空っぽにしなければ打てない女子と、本当に球を見極めて打つ男子と、二手に分かれるが、とても面白い同級生が、算数のテストで、3の倍数とか、1/3とか、書いていたのにもかかわらず、ダメ出しを食らうと、みんな徐々に算数の点をあしらう方法を覚えていき、しまいには、3の倍数の前でこけろ、とか、3の倍数の前でボケろ、とか、やってた人が増えたこともあった。(ナベアツは、恋愛中に鍋が棚から落ちてきたとかの話だったかな(*´ω`*))

なんでも、キリのいい数字で、お金をくれる人はありがたいとか、10000円とか、100000円とかまんざらでもないような顔は、ゆうちょ銀行の窓口でも一昔前ならあったが、献金や寄付金や、新入生の歓迎会のカンパの代金とか、茶道部の飲み会の費用とか割と無難なのだが、たまに、1/3のお金しかくれないこともあり、そのへん注意しないと、やりにくいことも出てきて。

例えば、投資信託の積み立てとかは、3333円という10000円の1/3にすると、3は1で割り切れないので、日経平均は上昇するとかで(誰に習ったか忘れたが、なんぼ金利をかけても、必ず利子に1円もらえるという所業)長期的に投資額をあらかじめもらう人は、1/3しかくれない時もあるが、今必要という時にこれだと、やりにくい。みんな使ってしまうから。

なので、今、是非お金が欲しいという人には、10000円の1/3だと、嫌がる。短期投資。

なので、そういう算数や社会の先生にあたったら、3の倍数の前にボケろとそういうわけで。

ヨーロッパでは、3の倍数の数の献金とか、3の数字の連続を出すと、神父様が必ず出てくるという言い伝えがあり、確かにcrazy cocoは大変面白いんだが、神の前になると、慎重になる。(紙ではない)

2023年にもうそろそろ京都の松ヶ崎のマンションに帰りたい、父の仕事も定年で終わる頃やし、と、それに合わせて、適当にとあるところを卒業して、医師免をもらったのだが(説明書きや、ホームページから、卒業生のその後の進路という紹介の枠で、開業できるとか書いてあった。確かに大病院で働く先輩もおり、驚く)卒業試験が、昔8つだったのに、16個に増えており、それに合わせて、患者の事例を一つ一つ丁寧に説明しあげ、管理と処方を書き、その後の指導と、背景に周りで何があったのか、何の考えと理論を持ってその結論に達したのか、を、ノーパーで書き上げなくてはいけなくって、流石に日本人からノーベル賞が出なかったのを見て、何が自分の身の回りで、どの人の何の理論にぶち当たったのかと考えると、思わぬところに達した。

MOS MASTERをほぼ全教科満点で通って、恩赦で、ソフトが2000円以下の料金で提供されることになったのだが、それにはoutlookのアカウントを作らないといけない。cloudになったわけで。
2022年に、すごいサイバー攻撃を受けたので、心身が消耗し、実名登録をやめて、あだ名で登録したのだが、その時のあだ名がpo poで、去年の医学生理学賞のネアンデルタール人の研究の先生が、pabboだったので、驚いた。

来年はワクチンかな(*´ω`*)と思ったら、そうであり、父と、握手したのだが、今年何が出るのか本当にわからない。

いっとき、物理のお部屋にお世話になっていた時に、5ページも書かないといけないとかで、豆腐の早食いとか、カエルを呼び集める方法とか、美味しいカレーの作り方とか、母の実家がほぼ一人を除いて文系だったので、祖父も文字には困らず、食卓に上がる話題と言えば、読みやすい文献から話題になったもので、卒論には論語という王道以外は全部無に等しかったが、そういえば、真鍋さんから後、誰を推薦したのか覚えてない。

ホームページを見れば、当てたらAmazon10000円の券をあげます化学賞当てようコーナーみたいなのが、UNIXで、作られたのか?(まさかな)というのができており、激しく悔やんだレポート提出。秀作は生涯持っておきたい。

自分で作り上げた制作は、自分の実子のみ。

子は鎹。

そう思うと、なんかさみしいものでもあり、やっぱ、紙で書いた作品は、生涯独身と決めれば、自分の側に取っておきたいというのが進物である。

だいぶ前、西川一郎先生の奥様である大叔母のお葬式の時に、大学の同期と再会した。

久しぶりの会話で話が、弾み、近所と知ってとても驚いたのだが、相変わらず若くって、綺麗な人だった。

とても元気そうで安心した。

私といえば、昨月無性に一保堂のお茶が飲みたくなり、母と、さて、茶柱でも立てようかね、と、入れた茶に、箸でひとくぐり、かいで、さましていたのだが、思わぬところで、茶柱が立って、「ガレット・デ・ロワ」の、アーモンドを当てたくらいに家の中が明るくなった。

同級生で、大学に残っている人たちって何人くらいいるんだろう、と、フェイスブックを開けたら、同期が、18〜20歳の時に、32〜42歳くらいの時の講師が学長選挙に当選しており、同期(森くんだったかな(*´ω`*))が映ってるかな?と、開いたところ、思わぬものを見てしまい。しばらくフェルマーの定理と、論語等8冊読むのを中断している。



紹介文にもあったが。個人的に、これは可愛い。
しばらくボーッと見ていた。

郵便局にいたとき、ディズニーのDVDを500円でAmazonで購入し、その中に不思議な国のアリスが入っていたが、眠れる森の美女がなかったので、残念だった。

今、ミッキーマウスの著作権が切れて、自分で画像を加工できる時代になった。

そう思うと、学長(もうすでに学長(笑))の私物は貴重だと思った。

それより、パスポート、来年何年制にしよ。

父にとっぺんぱらりのぷうと言われたが、オタク?と覚えたての流行語を使われ、くしした。パッテン(発生生物学の教科書)と思って返答につまり、少子化を潰すには、まず、パッテンを取ってからと、厳しいことを今でも母に言われる。(恨んてる?とまで言われている)


パッテンに関しては、今でも思い出すと、デリカミニ化している。

あっ、こないだ、時計の修理する工具を買ったら、夜首を真綿で絞められる夢を見ました。
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