昔、おさつドキッというさつまいものポテトチップスがあった。
確か、朝の連ドラで、澪標が流行っていた頃。
大抵、祖父の家に行くと、おさつドキッがあって、なくなっていたら、祖父ががっかりしていて、残り物の味噌汁で夕食を済ませていたとか言う家庭。
我が家は一万円札といえば、福沢諭吉様で、大抵神棚に拝してあると、祖父は言っていたが、東京の伯父によれば、無線相談は福沢諭吉まで、と、面白いことを言っていた。本人が慶應出身だったので、なおさらおかしく聞こえて。
懐かしくなり、長年お世話になってきた福沢諭吉様ともこれでお別れと、多分電子マネー給与になるから、偉い人を選ばなくても、そのうち一万円札が誰の肖像画になっているか、忘れ去られるでしょうと、考えてみたものの、そういうわけにもいかないことに結論が達した。
たまたまネットで見たのだが、結婚式には渋沢栄一では、良くないとか、拡散しだして。
渋沢栄一の生涯なら知っている。
なんでも、奥さんが複数いるから、奥さん一人だけで良い、という結婚事情に反するとかで。
結婚していないだけによくわかる。
さて、桜の通り道といえば、大阪の造幣局なのだが、ここんところ、神戸に移ってきたので、大阪の造幣局のことなど眼中になかった。あそこのカレーは非常に美味しく、先輩の旦那さんで、父の師が、紹介してくださったのだが、それと一緒に中之島の目のお医者さんが、とても腕の良い方で、大阪といえば、造幣局とそこのメガネ屋さん、というのがまず頭に今でも思い浮かぶ。
大体、春になると、結婚シーズンなので、大学入った年の一年前、結婚願望があった人から、本人の問題の解決が一番最初なのに、祖父と、ちらし寿司を食べたいとお願いしたところ、時期的にそうしょうとのことで、叶えてくださったのだが、本人の結婚は、かなりあとになった。
きちんと結婚なさったので、それはそれで良かったのだが。医師の家庭なので、そこら辺のアフターケアーは、ちょうどできている。
残念ながら、祖父が亡くなり、遺影を持ったのは誰と聞かれたが、私ですというと、後を継ぐが、結婚できるかどうかとなると、難しいと言われたので、結構それが尾を引いている。
色々祖父が亡くなったことで、なくなることも多く、大学受験も、2人の祖父が二つの祖国並みに、あの世へ行ったので、一年遅れた上に、葬儀の時、とても心配してくださった方から、お見舞いをいただいたので、なんか、付き合っているらしいと、勘違いされた事も、塾ではあった。
さて、来年はどこかに入らなきゃと、思いながら数学のみやっていたので、医学は無理かなというのに、二分した事があって。
浪人していたとき、1年目で、なんか、東京の方で赤ちゃんができたらしいという話に、看護学を学んでいた医学生から、来れなくなるから、と、あと、来年地震があるらしいんで、と、言われたので、死んでしまうと、二度あることは三度あると、とても心配した人と、赤ちゃんを取り上げられるなら、産婦人科の勉強を最初にさせてくれる医学部に行くという人と、二手に分かれた。
暗くなっていく上に、鬱になりながら、塾に通っていたので、先生方から出世払いと、5円玉を渡されたのだが、よく勉強していると、褒められたのは頭の片隅にあるものの、東京へ受験しに行っても、多分この5円玉のせいでこっちに戻ってくるかな、と、予感は的中。
1月17日の地震にはうんざりさせられ、東京では、赤本がなかったのに、取り寄せた申請書のところにどうやって行こうと、思っていたのだが、祖母が、東京にやってきても、宮内庁で働かされるよ、と、履歴を見て言われ、今年は生まれてきた子は女か男か?と新聞を読み、祖母に尋ねると、叔母が女と言ったので、今年は無理だ、と、あきらめかかった。
女帝は、頭の中でそのような考え方は毛頭なく、塾でも理系は男ばかりだったので、ちと無理か、と思ったのだが、そうだ、恩赦がある、と、気が付き、入ってからは、アレヤコレヤと提案をして去っただけのことであり、次のお札は渋沢栄一でよかろうという祖父の願いも、アレルギーが起こりそうなのだが、結局は一万円札と変わりないわけだし、いいんでない?と、思ったことを祖母に口に出して言うと、やはり、東京の方の大学を受けなかったことを根に持った祖母が、あんた、これからあの三人どうするつもり?と、結局はけしかけられ、生まれてきた子どもを結婚まで導くのには、やっぱり、私は独身じゃなきゃいけないかなぁと、言うことになり、渋沢栄一が、結婚式で祝儀に出されても、渋沢栄一が、たくさんありますね状態になるから、最近では、かっこいい人を見ても、かっこいい人止まりで、これからどうなるかと言うことまでは、漫画のようにはいかない。医師になった友達のように想像力は豊かになれないつつ、に、なる。
浮かれた話をしてくれる友達もいれば、ちょっと今困ったことがあって、と、友達もたくさんいるわけで、一人一人対応していくと、正しいことを導いているのかと、こっちも不安になり、図々しく、あの子と結婚しなさい、とか、離婚しちゃだめ、とか、言い出せなくなる。
なので、次女が結婚しないのは、多分、妊娠のきっかけがないからであろう。
付き合っている人はいるのとは、この年になって今更と、聞く方も、聞かれる側も、気にするわけなのだが、渋沢栄一という、歯止めをみると、そう虎視眈々と様子見というわけにはいかないわねと、世話焼きババアはできなつつあるのだが、1995年、大学入ったきっかけが今度の次女さんだとすると、起きても覚めても寝てもあの人ばかり、次女さんのことしか思い浮かばない。
時々、あの二人ってそんな仲だったのかというのは、同僚の中でも出世頭が上司と話しているのを見て、あっ、お別れかなと、がっかりすることもあるのだが、一度誤解されたこともあり、これは早めに場を逃げたほうがいいと思い立つのに、例えば、定期会で、祖父に茶柱の立った玉露を出した時に、葉っぱが2枚入っていたのだが、あれはいいのか?、とか、秘書検定かと思う内容を相談事のように行っても、葉も栄養があるのよ、と、片付けたり、葉を無理やり取ろうとして、指を突っ込んだり、茶柱がたたないとか、箸を突っ込んで回したりするのではなく、いかに手なずけたか?という問いにかんしては、いや、なにも…という人に限って、嫌に茶柱が多いなぁという父や祖父に次女も連なってくれたら、助かるのになと、大いに思うわけである。早く結婚しろではなく、茶柱の立つ間柄になれば、別にお祝儀で渋沢栄一が出されても、どうでも良くなるに違いないのであろうか。出してもらったことはないので、まだ経験なしなのだが。
気になる。だから結婚式は書けない。
神父様だって、そう思うでしょう?というと、必ず最後には納豆の軍艦巻きの話になる。
あれはなぜだ。