2000年、こんなふうに生まれました。
とりたいを言い続けてきましたが、いや、でも、あなた、と言わせる理由に、出会って当日の約束が、飲むヨーグルトはどれがいいのか、私に選んでもらおうという企画で、本人にあったわけなのですが、ノーベル飴をみて、欲しい欲しい、と、甘えていたところ、いや、でもね、あなた、私の約束忘れてない?で、躊躇された図。実話でした。
そんな飲むヨーグルトなんて、どれも一緒やん、それよりノーベル飴食べたい、と、言うと、汗をかかされ、R1がお腹にいいって書いてあるから、そうなんちゃう?の、世界の私に、遺伝的説明を乞うてきた友達。
度肝を抜きました。
何から話そう、モンゴル人は、特殊な胃袋を持っていて、一部のアジア人と違って、乳酸を分解できる胃液を持つとか、そんな専門的な話かな?と、ドキドキしましたが…。
R1は、オリゴ糖が入っていて、お腹にいいのよ、と、説明書に書いてあるから、そうなんちゃう?と言うと、専門的な話はさておき、
しばらく、価格を見て悩んでいましたが、(その辺大阪やなと思う)
シーンとしたのも実話。
ノーベル賞欲しいと言いすぎたのかなと、心の中で、彼女の叶えてほしい願いと裏腹に、別件で悩んでいましたが、「これ買うわ。」と、R1を選択したのち、しばらく沈黙。
「しつこく言いすぎて、めちゃめちゃ関係の空気悪化したかな?」と、京都にとんぼ返りしたのも、実話です。
本人の名誉のために言っておきますが、めちゃめちゃいい人です。この人。間違えちゃいかんよ。
さて、昨日のテレビで、地域番組社会紹介で、とある芸人さんが、今、何に困ってますか?との問いに、なんだっけ?と答えた後、あっそうそう、物忘れ!こっちが忘れてしまった、このように物忘れなんですよ〜!!!と、答えていたのを聞いて、
上手いなぁ、明日のあんぱんはめっちゃうまそうだぞ。
と、父の書いた本を思い出しました。
今、手口足病の後遺症で、爪が足までやられていたので、医学なんてやる気がないから関係がないやい、状態なんですが。
ノーベル賞って、宝くじに似てますよね。
堺市の勉強していた学生マンションで、地方番組だったのか、おばさんが、宝くじの当たりやすくなる方法を紹介していて、どうも、宝くじの当たる確率は、宝くじを購入していたことを忘れて、放送がトリガーで思い出す確率に似ていて、俗にいう忘れた頃に宝くじは当たるというアレだとか言ってまして…。
脳みその構造なら、私は強い。海馬は記憶の空室。
などと、豪語し、(もしかすると、父の本の上に…)
(これ、カラーコーディネートの参考資料なんですが…)
上に置いておくと、ノーベル賞当たるかもしれない。
つまり、宝くじは忘れる頃に当たるので、もの忘れ外来と書かれた「(音が)来た、通る(かも)」なんて書いてある本の上に、いろの参考資料など置いておけば、試験が今年通ってなくても、駄洒落で受かる、もしかすると、満タンだったのかもしれないしー、と、藁にすがるように、断捨離を行なった部屋の洋服ダンスの上に本を積み重ねて、一番上に置いておいたところ、本当にそんな験担ぎをしていたことも忘れていて、ふと、ノーベル賞受賞発表まで気がつかなかったのに、今思い出したということは、明日の修道院の着ていく服に、もしや、あたりがあれば、何か、粗品で貰えるものがあるかもしれないと、何かしらの恩恵に預かろうとした庶民動機というのがあったりしました。
当たったのは、ほんまに当たったので、当たるんだと、心の底から思いましたが。
確かに、当日、私は茶色いカーディガンを着て、茶色い壺のタコ飯(秋飯)を食っており、父は発表時間をとっくのとうに忘れていたため、名より実のネームバリューにこだわることなく、テレビを指して、みんな、「おいみろ。」「あたっとーやん。」で、浮かれ喜びをしたのですが。
あるもんやなと。偶然。
こんなことが度々あったんで、
こんな一コマを再読してから、悠仁さん受験のルーモアなど、何とも思わなくなりました。
私の一撃といえば、(笑)北岡伸一先生の東京大学教授の放送大学授業一斉放送を見ていた時、真珠湾攻撃を簡単に説明しただけで終わったんで、「それだけ?」と思った、日本から出て、ハワイで攻撃したというルートに、2往復の簡単なルートしか書いておられなかったのを見ていましたが、ふと、アメリカのハワイで、旅行案内人の補助説明を行なっていた当時まだ大統領選挙に出馬する前の上議会議員のオバマ弁護士(のち大統領)が、ハワイ攻撃した日本はもう一つ軍団をもっと前から計画的に別ルートに送っており、その証拠に、日本からインドへ行き、喜望港を回って、フォークランド戦争のあたりの南米の地域を通過し、斜め左に侵攻を加えて、アメリカ軍の背中側から、恐ろしい攻撃を加えて、挟み撃ちしたという卑怯な戦法を日本がとっている事実を教えてくださり、do not talk one's backという言葉を帰国して、日本で米国の方に教わって二度驚きましたが、事実は語られない場合と、語られる場合があり、地域と時によっては場合も限られるのですが、知らない事実というのも存在するわけでして(例えば、原爆は最初、岡山県久米郡に落とされるはずだったなど)その証拠に、曽祖父は、インドで、第二次世界大戦が始まってからスパイ容疑で、終戦まで抑留されていたという歴史を残しており、帰れたから裏世界を残したという偉業を成し遂げたという事実もあったり、(でないと、なんで、日本人がインドに長いこと刑務所で生活させられたのかとか、残されたインドで書かれた日本を思い出させる俳句が残っているのはなぜか?など、謎が残るわけでして)広島の人が多く岡山県久米郡に来たのも、岡山県久米郡に落とすという米国の当時の敵国暗号を解読した海兵や陸軍が落とされるはずだったところが、免れたということは、広島から空路が戻って岡山県に落とすはずがないと、先に裏読みした結果が、大量に岡山県に被爆者が流れ込んできたという原因にもなったので、岡山県に呉出身の人が割と多いなという地域研究の結果と、今でも割と家共々仲良くしている人は、当時助けた人同士だったということもあって、(なるほどな)と思ったりして。
家中のものが医療関係者で一杯なのも、その辺が絡んでいる事実かなと思うこともあり、今になってはあんまり思い悩むことはありませんが、ハワイがアジアと習っていた戦時中の人たちからしてみたら、当たり前のことなんでしょうけど、アメリカで敵国語と、敵国の歴史と、敵国の洞察力を学んでいたら、「ハワイがアジアか?」と、年功序列を無視して、帰国子女の若干8歳が怒る心境というのもわかるような気がします。
点数つけられないと思う。
学長がそれぞれ変わってきているし。
面白いことになりそうだというのもチャンス。
武豊も連勝しているしー。
なんかあったら、結果を楽しみにしています。