アメリカでは、トイレに入るときは、小学校同士で集団で手をつないで入って、トイレの時間帯などきちんと計算して、みんな用を足したら、授業しましょうと、珍しい校則があったので、テレビの放送の記者に目をつけられたのか、その期間、校長が、是非とかいうんで、全米で流れた最初の全国放送出演が、トイレに集団で行く、という特集に載っていた頃、あなたは韓国人ですか?との問いに、いいえ、日本人です、というと、日本人学校に行かなかった理由は何?と立て続けに質問の矢があたり、親が、全世界にリセがある学校の出身なんで、宗教教育が大切と言われてここに来ましたと言ったら、採用されて、結構父の教室のボスにも、テレビに載ったんだって?とか、電話で言われた。
テクニシャンの父より年上の中国香港から来た研究者は、俺もtimesの、表紙を飾りたいと、願って、hollywoodの話題で盛り上がっていた。
用を足すのはほんの数秒なので、放送もほんの数分で終わったのだが。
きちんと人種差別することなく、全世界のお友達とトイレに行く姿は結構波紋を呼び、世界はみんなお友達とのスローガンが出て、(この辺アメリカだなぁと思うんだが)うちの学校でもそれやりましたと、公立の学校の校長が、教育委員会のミーティングで、それぞれの意見を出し合ったので、黒人差別とか、レイシーズによる犯罪などが、激変したらしい。
ラボのテクニシャンであるウクライナから来たお友達は、ドクターペッパーの会社の社長と結婚した同年のお友達と長く付き合っており、トイレの話を自らしてくれたのだが、当時ナチズムは、ウクライナまで侵攻しており、ソ連がウクライナに攻め入った時も、防空壕に潜んでいた当時の若きウクライナ人の彼女と、母は、トイレのニオイに後をつけて、兵士たちが手榴弾を投げる、と、気付いたため、臭い消しのライムを用を足した後、大量に穴を掘ったトイレに放り込んで、臭いを消し、それでソ連の裏から回って、スターリニズムを撃破し、アメリカに難民として受け容れられ、移民として定着したとか、話していたので、「トイレを制するものは、世界を制すというね。」と、同意していた。
京都大学の机を得た父は、日本に帰ってきてものすごい貧乏なところから教室を立ち上げたので、よく弁当を忘れて、私が持っていくという日々を1983年からずっと続けてきたので、裏のドアの鍵を持っていたりすることから、母が来る時も、必ず私が同行しないと、落ち着かないということもあり、特に、お弁当を小学生の身の勉学中なのに、掛け持ちで母の代わりに持っていくと、太平洋翼賛会のものですが、とか、見つかった時ののがれに、軽口をたたいて、痴漢やいたずらを撃破しながら当初の目的であるお父さんの部屋におにぎりを持っていくことを成就していたので、今でも父は、お弁当を持っていく習慣は身についている。
そこで困ったのが、トイレ。幼児用のトイレはないので、大人用のを借りても、お尻が大人用の便器に嵌まらず、水浸しになり、「まさか、今日は洋服を汚してないでしょうね。」と、母に言われると、「マンションの管理人室の横のお客様用トイレで用を済ませた。赤ちゃん用のトイレがあるんで。」と報告すると、ホッとしたように何も咎められないというオチも。
京大は、トイレが巨大とか、だから、過去問が難しいのね、と、過去のトラウマからなかなか、トイレから抜け出せない頃を思い出したのか、あまりやりすぎると、多浪…とか、脳裏をかすめていき、(もしかすると、東京大学のほうが、京都大学より偏差値が高いので、トイレは高級かも)と、偏見を持って行ってみたのはいいものの、トイレには、大学の試験を受けに来る多浪生や、男の人達でごった返しであり、用を足すにも、「女性用トイレはありますか?」と聞くと、「ないよ」、と、仮面浪人の受験生が一言。
なんでも、トイレで出産されると困るらしいので、事情を知って怖いと思ったのだが、巨大なダンゴムシが男子トイレの男性の印の看板に歩きながらへばりついていたのを見て、明らかに衛生上、いいんかい?と、受けに行った後、祖母に、「あのトイレを見たら、誰も受けへんって。」と一言だけ残し、「もっと、ええトイレあるとこあらへん?」と叔母に言うと、「えええええ。」とか言われて、「そう言えば、親戚が実験室を新しくしたから校舎内がいいものかも。」と、「ほな、そこにするわ。」と、受けに行ったところで、トイレ済ませて、「ええかも。落ち着く。」と、決めた時点で、面接を決行したら、あとからわかったことだが、そこは男子トイレであり、中入ってから、「女子トイレは残念ながらありません。」、との言葉に、「どうすんねん。」と思うだけで、明日の我が身は明日考えよう…と、次の日も頑張ってトイレがイマイチのところに通った。
最初は、専門とパンキョウの授業が入り混じった履修届であった。距離感など計算したわけでもなく。それが仇となったわけなのだが。
最初は、専門の教室に、学生棟から歩いて入ってくるという、目的を果たさなければならなかった。
体育の教師が待機する部屋から、パソコン室まで非常に長い廊下を歩かないといけないのだが、途中男子トイレと女子トイレが、あり、それが唯一だったらしい。
一度、話を聞くと、時は金なりということわざ通り、今、ここで、トイレに行くと、教室に間に合わないという時間的な問題にあたり、たまたま、「もしかすると、いるかも…。」と持っていった幼児用のおむつ(生まれたての従姉妹用のをもらって持参していた)と、地震用の携帯尿瓶で、廊下で用を足し、早足で教室に入ったら本当に間に合って、線形代数、数理生態学、応用数学、情報処理を取って、昔の社会が如何に理系は男社会で出来ているということを身にしみて経験した事があった。
次の年の発生生物学は、とてもじゃないけど、できない、ていうか、間に合わない、で、続けて取った数学の微積の授業でも、(名前忘れた)レポートを前の晩、50枚くらいA4の白紙にテキストを書き写したものを当日持参し、課題を聞いてからの、レポートの解答探しであったので、ちょっと退席したあと、男子トイレに入り、バインダーを全部床に落として、一つ一つ足を震わせながら、便器に座り、これでもない、これでもない、と、一つ一つマーカーでチェックしながら、巻いていると、一枚ドアの外に行ってしまったものを偶然大学院生が拾い上げて、「これ、あなたのですか?」と、ドア越しに言われたので、「そうです。置いておいてください、後で取ります。」と変な会話をして、数学の教室に戻ると、たまたま、その声が受け取ってくれた先生だったため、通ったということもあった。
先に通ったので、数学科の子が是非続きを教えてほしいと言うので、割り当てたものを渡しに行くと、「大学院に行ける。」と喜んでくれたのだが、人づてで、大学院生はトイレで何をしているの?と聞くと、芋を食べに、と言うんで、なんで?と言うと、妹に見られるから、と、珍回答を得たこともあり、ますます数学のレポート査定してましたとは言えず、なんか、ゆとりある世界に羨ましいと言うか、なんか、変なトイレの使い方…、という偏見だけ残ったので、左の塔のトイレだけは、使わなかった。
友達が言うには、右の塔は、出世するが、左の塔は出世しないとか、結構分析をしていて、「言われてみればそうかも。」と、本当に不安になる毎日を送っていたが(ほぼ毎日左の塔を使っていた)中央寄りにも、教室があり、そこら辺は出世街道と知らない人は知らなくっていい研究室があり、割と入り浸っていたが、外国に学生として行くこともなく、そういえば私費で行ったかも、と、後で先生の言うことは絶対と気がついたこともあったが、中央棟にはトイレはなかった。(男女も)
談話室もあった。
割と入っていた。
トイレより落ち着くところだったので覚えている。
さて、仕事が、決まり、社内に入ったとき、さすがに女性トイレはあったのだが、真隣が男子トイレで、鉢合わせがとても嫌で、気がつくと、男性の方も、水飲み場で水を飲んでいるところを女性に見られるから落ち着かず、何かしら壁が簡易で立てかけられており、中が、見られないようになっていたので、(最近の男性は小市民なのかな)と大誤解しながら日々を過ごしていた。
お客様にトイレを貸して差し上げてね、困っている人を見たら、助けてあげること、と、言われて、時々お貸しすることもあったのだが、一般客で変な人も時々おり、爆弾を仕掛けましたと、言って職場を、脅す人も出てきたので、(トイレを顧客に貸すのはやめましょう)ということになり、顧客からは私の名前を見たら、「さっきまで貸してくれたのに。」と、不平不満を言われて、事情を話すことで理解を求めていたということに、突然苦しめられた。
外国に、給与をチャリティーとして、神父様の母国に寄付をしたとき、目的は達せられたわけなのだが、帰りの空港で、もよおしてしまい、後ろを見ると、日本人の旅行客が、小声で、「下着の中にパスポートを隠したのね、最悪、取り出さないと、税関を抜け出せない。」とか、おもむろにSamsoniteを広げるので、「もう我慢できない。」と、ベトナム空港の割と小綺麗なトイレに駆け込むものの、掃除していたためか、なかなか入れず、生理的に誰も悪くないのだが、本当に嫌な思いをした。なんでも、一人旅行者で女性を見ると、出産するのではないかという掃除屋のおばさんの変な直感で、いつも、トイレには(掃除中)と出て、ベトナム語でもそういえ風な看板が立てかけられており、結構不服だった。
六甲に来てから困ったことといえば、駅の校舎内にしかトイレがなく、神社にも京都のようにトイレがあるわけではなく、ましてや自習室など京都の学士館のようにあるわけはない。
一人でいると、男待ちとか、不審者と思われ、近所の自治体に呼び止められることがあるが、喫茶店に入ったらええやん、というアドバイスも、投資の番組で、コーヒー一杯我慢すれば毎日400円は、積み立てられる。キャベツ1個分とか、言い出し始めて、初めて、神社で、座席料として御神籤を引いたら、座れるような世界になった。
トイレ休憩を敵に与えなければ、よい、というのは、父がウクライナ兵だったという、旧共産圏のダラスの今では民主主義のおばさんに聞いたのだが、今思うと、上記の中で一番困ったことと言えば、廊下で用を足して、数学で合格したことくらいであろうか。友達がなぜ取れたのか、非常に羨ましがり聞いてきたのだが、真似させるわけにもいかず、悪いなぁと思いながら黙っていた。
職場でも、同じ経験をしていた人がいて、トイレに行くと、出産しているんではないかと思われる恐怖から、尿瓶を、持参して9:00〜5:00まで、働いていたというツワモノもいて、机の下を拭いてくれる?という、お願い事に、快く承知して、掃除したのは記憶に新しい。
今から思うと、ダラスの共同研究によるクラス全員での、トイレ行進は正しかったと思われる。
今は平和で、新しい尿瓶も、(これ、氷枕?)と、使い方を間違えるのだが、どの時代もトイレには頭が下がらず、この本のことをかいつまんで本にして出版したら、戦争を止められるかもしれないとまで思う。
祖父は多分大学に入ったら苦労するよ、と、ドイツ式に育てたので、私は幾分他の人より我慢ができるが、我慢できなくって、トイレに行く回数が多い人ほど頭が良いという邪念もある。
前もって、トイレに行っておくとよいのは、あたり前のことであり、一度身体的に毒を浴びたと言えば、神戸から舞鶴に行くバスの中で、用を足したくなって、トイレ休憩まで我慢しようと思ってたのだが、我慢しきれず、膀胱が破裂しそうだ、と思って周りを見渡すと、階段の下にトイレがあったのだが、見出す時間までが苦心した。
他にもいろいろあるのだが、トイレ関係で、漢方薬にお世話になったこともあり、防已黄耆湯があれば、大抵のことは我慢できる。