1995年は、スマホなんかなく、マッキントッシュも研究室にはあったが、家には貧しくってなかったので、漫画禁止令、スーパーファミコン禁止令、コンビニ買い食い禁止令、で、過ごしていたのに、阪神大震災。
培われたのが、何もない世界で過ごすこと。
何年か経ち、仕事の訓練所に行って、若干、スマホのSNSとか、ニュースとか、話したり、聞いたり、影響を受けて、動揺したりすることはあんまり良くないんではないか?と、聞いていたんで、可能性のあるものは、全部削除してのぞんだのですが、引き続き職場でも、SNSとか、ニュースとか、聞かないほうがいいと、レジュメを通して言われたんで、ないない時代を5年間も続けていました。
そもそも無医村では、何もないところに、スマホのようにありがたがられる医師がくる、と聞いて、やった!と思ったのもつかの間、高血圧や、脳卒中や脳梗塞の患者を診たりするうちに、「酒飲み禁止」と、みんなおふれを、一時的に出され、「医師ってダサっ。」と、本音から思うあれに似ていますが、病気が治ると、大学にSNSなしで受かった恍惚感と達成感に似ているので、アレかなと思う。
私はSNSや、LINEって、お金が関わったらしんどいし、どうかすると広告業に加担していると、気がついて、気分悪くなるのがオチだから、潔く辞めることは、昔から多少なりとも、得意です。
なので、SNSを禁止したら、大学入試突破したとか、就職活動で成功したというのは、考え方としては合っているかも。応援します。
ただ、時々、宝くじで、お金が大量に当たったら、広告プログラムに全額をほぼ割り当てて、都合いいようにするという考え方の持ち主もいるので、そのへんは注意ですが。
受験って、選挙運動と一緒と考える人もいますが、一部。
そうでないと考える人にとっては、SNSをやめたり、ニュースに振り回されることから自らを避けると、結構有益な結果をもたらすかも。
今回の、兵庫県知事選挙は、PR会社の人が、顔出しをしたから、余計人気が下がってきたわけで、PR会社の人は、それが仕事だから、それはいいのですが、「顕示欲強い人が出てきたな。」と、年上の人が思うあたり、かんがんびいきという日本人の特徴の一つが押されるに押されて、隅へと追いやられ、結局は後味悪いとこになると、それが原因かと、気がついたわけでしたので、割と私は顔出しはやんないので、その路線は続けて行こうかと思います。
ミステリーって、追求したいとぞっこんになる人が多いのよね。
ミステリーはミステリーのままで置いておくと、変に人気が出るっていう場合のケースもあります。
そのへんの采配がね、微妙なのよね。
普段からマクドナルド食べてると、顕示欲強い人マクドナルドの表示に違和感を覚えることもあるのですが、安くってうまけりゃ、違和感すら忘れる人もいるわけなので。
テロも突然勃発するのもこの理論ありきかなと思うわけでもあります。