コロナとの出会い。
1993年、宝塚市の学校に通っていた時は、管理体制もバッチリで、何か悪いものが流行るなど、思いもつかなかったし、考えもしなかった。
1989年、なんかおかしいな、お腹が痛い、と、激痛が走って、海星病院に1年間入院した後、叔父の義父の家に3ヶ月おり、絶対他人との面会禁止の上で、介抱してもらったのだが、良し、外に行けと、出て、祖父の家に帰ると、医学書がたくさん書斎に置いてあって、夜の夜中まで読んでいた中に、疫病と、水商売の女性と、戦争と、精神病の関係という、精神科医の世界の本に当たり、それ一冊だけ毎日読んでいたような気がする。
疫病が流行る→戦争が起こる→人口減少する→敗戦国と戦勝国が決まる→売春婦が流行る→人口増加する→疫病が流行る→戦争が起こる→人口減少する→敗戦国と戦勝国が決まる→売春婦が流行る→人口増加するの繰り返しのグラフがあるページに書いてあり、下の方に結論で、日本は戦争をしないと米国と約束したので、戦争という文字二文字を取ると、人口減少の道をずらずらとあゆみ、奈落の底に落ちていく、と言う下りあたりで、ゾッとした。
祖父は、精神科医の専門書だけ、開いて本を押し付ける時にできる折り目があると、翌日分かったので、「誰だ?読んだのは?」と、ある日家族会議で説教をもらい、「私です。海星病院の先生が一個だけどうしても消えないバイ菌(ウイルス)があると退院した時気をつけてねと言われたので、調べていたの。」と言うと、本当に読んだのか?と、詰問され、3時間ほど読んだ内容をぜんぶ言い、と言われて、要約をかいつまんで言ったところ、祖父の読んだ本と合致したので、翌日フロイトの定理を読んでいたところ、「読まんで宜しい。」と言われたのが、祖父の取り寄せた蔵書とのお別れ。家にあった国会図書館で借りた全書は全て返され、後に残ったのは、仏像の彫刻の写真集と、美術の本と、開高健の本だけであった。
祖父は、1992年、明治43年生まれの母方の祖父が亡くなった後、後を追うように、亡くなったが、保険屋から生前葬儀のチラシをもらい、宝くじを1億円当てたので、生前贈与という形で、私と亡くなった叔父が受け継いだ後、葬式を仁川でカトリック式に行い、本人は日蓮宗なのだが、周りには目をまいてわからないようにあげたので、知っている人はごく一部。葬式の後、高野山からひょっこり帰ってきており、「お前ら、元気か?」という問いに、「元気やよ、おばあちゃんに会わないの?」と言うと、「会わない、帰るわ。」と言ったので、「あっそ。」が今生の別れであった。
祖父の妹は、黒曜石の墓を用意したのに、私が泣かないので、お墓の費用は自分で出し、と、言われたので、確か、1/3出してような気がする。なので、今でも家族のものは祖父が死んだものと思っているのか不遇だ。
しばらくして、阪神大震災があり、東京大学へ受けに行ったのだが、前日から不明の咳をしており、母方の祖母に、隣の医者んとこ行ってき、と、言われ、行ってしばらく話していると、「僕、獣医の免許も持ってんねんけど、この検査受けてみる?」と言われて受けた検査が、コロナの検査であり、(正式には犬コロナ)誰か、東南アジアに行ったか?と聞かれて、そんな余裕ないんやけど、というと、犬を食ったか?と言われ、そう言えば、近所の日本に戸籍がないある人が、これ食いなさい、と、持ってきたものを避難所で食べたが、あれかな?と言うと、それかもしれん、2月25日、26日、試験受ける?と言われて、その後、東京大学理科三類にしなさいとかなり言われたのだが、帰りに看護師さんに、「あの検査何?」と聞くと、「ちょっと専門のところに持って行くから。」と言われて、白金台に帰ってきて、「医師の説明はよくわからないが、東京大学理科三類を実力なくても、受けろと言われた。中入ってから、君の免疫は非常に強い。他の人で同じものにかかっている人が何人か港区の僕のところに来たが、もっと強い症状で死ぬこともあるとかいうから、看護師さんの方がいい。」と、言い残して、貰えた薬を飲み、当日受けに行くと、強い薬で途中眠ってしまったものだから、寝ている間に、「彼女です。」と刺されたみたいで、採点当日落ちたと自分でもわかったのに、再試験致しますとの特例で、近所の関西の大学に受かった。
さて、在学中はウィルス持ちであった。出来るだけイベントには参加せず、人とも付き合わなかったので、指紋をつけたのはレポートの紙を提出した時のみ。
仕事を見つけて、ベトナムに行くことになって、少し大学の知識を得て行った土地は、父も嫌がる現地であったが、食生活で困ったことといえば、卵のひよこを食べたことくらいで、付き添いのカトリック教徒の神父様に、「犬だけは勘弁してください。」と言って、それだけは避けられたのだが、友達が、修道院の経営の学校を卒業することになり、真夜中繰り出した街で、どうも、犬を食べたらしく、現地で発病し、トラコテの水が出るところで治療してもらい、ほぼ治ったところで、帰国した後、同じ経験した政治家のおじさんが、「犬食った?」と聞いてきたので、「食ったかも。」と言うと、じゃあ、警戒警報出すね、の一言で、2020年、コロナ注意報が出たとか。
最初HIVかなと思ったが、同年代の新しく女医になった年下の知り合いの女の子が、「HIVではないわ。」と言ったことで、男女関係が疑われたことはなかったが、仕事のあり方で近所の図書館で借りた日銀の本によると、保険屋は枕営業があると書いてあり、それは…と、悩んだが、同僚が経験豊富な尼さん(枕営業で悩んでいた女子の相談相手)が、たくさんいらした関係で、お金にも、健康的にも、身体的にも、心境的にも、犯されることはなかったと覚えがある。
コロナが流行る前、知り合いの外国の医学部医学科を出たという二人の国際医師が、別要件で、身体の相談をしに行って、教えてくれたことには、直接的ではないにしろ、間接的に、最近のインフルエンザの検査でC判定ってあるんですか?と言う患者との会話を聞いて、実際近所のところに受けに行くと、果たしてC判定の検査紙がもう出来ており、お手製だったらしい、明確にないにしろ、線が出たら陽性、線が出なかったら陰性と、最近の神戸の港は、神の扉と言うくらいだから、医療のテクニックも高度だな、と、感心した。
1995年の獣医と医師の免許を両方持っている人ではないと、医科研の裏で開業はできないだろう。子供の信用とかかなり違ってくるし、と、私も父の老後の楽しみで、購入したヨークシャテリアに、大阪である、と言われる11種類のワクチンをうったのだが、家のものは、現地で住めば都といろんな経験をして、勉強も人免疫も犬免疫も身についた上に、アロマテラピーや、薬膳、介護の資格を激安で身につけたためであろうか?なんだかんだと怠慢を指図されることなく、家族もコロナにかからず、不思議に全員健康にお陰様で過ごしている。
コロナワクチンが、あまりいい影響を及ぼさないと、イギリス王室からインスタであるメッセージを受けた時、植物園を思い出し、小石川植物園に向かったのだが、家に帰って登録販売者の資格と、中医の資格でも取るか、うまく行ったら、通信教育で、基本情報処理の資格も出るかもしれない、と、一人でほくそ笑んでいたら、最初に目指した登録販売者の兵庫県全問正解目的を果たし、家に来る叔母など、マスクまだやってんの?と現実の世界で初めて言われて、外の様子が変わったと気がついた。
本当にコロナは嫌だった。
救いは、北欧にもある堅信式で選んだある女性の名前が、疫病退散の聖人であったと言うことのみであろう。
偏差値に振り回されることなく、過ごしてきたが、偏差値自体にまだ振り回されている。
下がることはあるが、上げることはなく。
何が良かったかと言えば、目上の人の引き立てがあったからだと思うんで。
北海道がまだ、1/3しか進んでないが、中医のノートは100ページ行った。
後は、試験費用の85000円14回分を得るだけのみ。
投資はしているが、30000円しか入ってこない。
コーヒー外出もやめて、どくとるマンボウの船長室みたいな日常を六甲山頂で営んでいる。
地獄坂がなんだ(笑)