京都大学には異例の慰霊塔というのがあるのですが、2.26事件で、首謀者の何人かのソルジャーのお墓が、裏にあります。
知らん人多いですが。
よく私はまだ物事をよく知りもしない身だったので、先生方に、お参りに行きたい(お墓に手を合わせていたら、受かったという珍しいケース)という方がいらっしゃったら、父が母に申し伝え、母と父が私に、「管理人さんに行くから。(と電話で伝えておいて)」というと、「お駄賃いくら?」と言っては、お駄賃欲しさに、足で管理人のところへ行き、許可をもらって、お駄賃そのまま財布の中ってこともありました。
それに、管理人がお墓や慰霊塔の場所にあるとは限りません。幽霊のように移動するので、みんな捕まえられないが、お前だけは居場所を知っているとか、言われてました。
人を幽霊みたいに。
失礼な。
許可をもらう方法というのが、お墓の中に野菊が生えているので、デイジーを取りたいというと、開けてもらえるのです。
不思議でした。
さて、人間の慰霊碑は兎も角、突然気が狂った教授や、看護師や婦長さんが、附属病院から忽然と身を隠しては、京都南の5本線の壁の窪んだところに、乞食とおんなじ行為をして、施しをもらっている、という通報をするのは、たいてい小学校の同級生。
南座の人が発見して、伝わるということがとても多かった時代。
人はたくさんやるべきことを保持していたのです。
さて、カウンセラーを教授人にしていくと、(そんな偉そうなものではありません、教会の席で話しかけられたら、そんな話ししていた人がいたとかいうくらいほぼせこいはなしで)みんな、目が虚で、父の科でない教室の先生や産婦人科や、看護師や医師が多かったような。
なんか、泥棒に入られたとか、妊娠したとか、(動物が)とかいうんで、問題が高い、と、悩む。
父に、動物実験した後、遺体の処理の、塩素で洗うというお手伝いは、もうしなくっていいの?と、鳥の羽むしりの機会を狙っていたのですが、そういえば、ヤギの小屋、なくなっちゃったね、とか、普通に話ししていましたが、先祖が田舎の庄屋で今でも馬小屋が残っている私らにとっては、普通のことなのですが、たまに、都会から来た先生とか、突然鬱になる教授もたくさんいたので。
カトリックのシスターをやっている父の叔母に内緒で、相談しました。
何が悩みなのか?
あんだけ高い給与を貰っているのに、不思議なことをする。
というと、逆に父が、
「そんなに高い給与をもらっていたのか。」
と、逆に給与という言葉に反応。
お金でもないし、なんだろうね、高貴な方は何を考えているのか、分からないから…とか、問題は暗黒の領域へ。
さて、何も考えない普通の学生さんがいました。
のんびり過ごしているようで、鶏の雛の解剖実験を終わらせると、チキンラーメンを必ず持ってきて、鶏の大臀筋の肉を入れて、お湯を注ぎ出し、それを食べるという経済的な男の学生でした。
私は幼かったので、悶え苦しみましたが。
笑っていたのに、上の階から見た先生方には、泣いていると思われたんでしょう。
突然遺体を放置し、去っていく私に、そっと、鶏の雛の遺体を手のひらに載せて、土を被せて、葬ったのですが。
そんなら、さっきのチキンラーメンの具にした雛の大臀筋を吐いて一緒に葬ればいいのに、とも思いましたが。
家に帰ると、昔飼っていた実験動物のウサギやワニに、死んでしまった時、ウサギとワニのバカと書いて、土盛りに立てたのを覚えてましたが、(因幡の白兎ですな)きちんと、バカではなく、墓と書きなさいと、近所の人に怒られて、父を呼び出し、墓という漢字を教わって、書道教室の前で書き、マンションの園芸枠の土に立てて、書かれた割り箸を建てた覚えがあるのですが、その頃からマンションの子供たちの素行が良くなり、悪いことをすれば、悪霊が出ると、なんか宗教感覚的な環境問題突破を経験したような。
それとなく、幼いながらも、父に、動物慰霊塔を建てたら、悪霊に取り憑かれた教授も奥さんも、看護師も、婦長さんも、泣かずに治るのでは?と、提案すると、ヨーロッパでは鎮魂歌というレクイエムシステムがあるとか、大教授が言ってきたので(奥さんがヨーロッパ人でした)ほどなくして、動物慰霊塔が、学生棟の隣にできて、歓声が上がり、でも、動物の慰霊塔だからと、声を顰めるように指示を受け、しばらくすると、鬱の指導教官たちが、治っていったので、終わりよければすべてよしだったことが過去にありました。
最近、父に、動物慰霊塔は、どうなったかなぁ?とか、聞くと、「俺は、そういう、取り憑かれるような、高貴な育ちや生まれの人間ではないので…」と、話を逸らされましたが、この言葉、聞けば効くほど面白いので、脳裏に焼き付いています。(動物と同等)